法話5『ありがとう』とは

仏説(ぶっせつ)譬(ひ)喩(ゆ)経(きょう)』、『雑阿含(ぞうあごん)経(きょう)十五』、また『法華経第二十七章妙(みょう)荘厳(しょうごん)王本事品(おうほんじぼん)』や『法句経』の中など多くの経典の中に『盲(もう)亀(き)の浮木(ふぼく)』という譬(たとえ)が出てきます。
お釈迦様はあるとき、弟子の阿難に、「そなたは、人間に生まれたことをどのように思っているか?」と尋ねられました。
「はい。大変よろこんでおります。」と阿難は答えました。
お釈迦様は続いて、「では、どれくらい喜んでいるのか?」と尋ねられると、阿難は答えに窮してしまいました。するとお釈迦さまは、一つの例え話をされました。
「果てしなく広がる海に、目の見えない亀がいる。 その亀は、百年に一度、海面に顔を出すのだ。広い海には一本の丸太棒が浮いている。その丸太棒の真ん中には、小さな穴がある。
丸太棒は、波のまにまに、風のまにまに、西へ東へ、南へ北へと、漂っているのだ。
阿難よ。百年に一度浮かびあがるその目の見えない亀が、丸太棒の穴に、ひょいっと頭を入れることが有ると思うか?」
聞かれた阿難は驚いて、「お釈迦さま、そんなことは、到底あり得ません。」と答えた。 
「絶対にない、と言い切れるか?」お釈迦様が念を押されると、
「何億年、何兆年、何億兆年の間には、ひょいっと頭を入れることがあるかもしれませんが、 ないと言っても良いくらい難しいことです。」と阿難が答えると、 
「よいか阿難よ。 私たちが人間に生まれることは、 その亀が、丸太棒の穴に首を入れることが有るよりも、 難しいことなのだ。 有り難いことなのだよ。」と教えられました。
人間に生まれるということはこの亀が丸太の穴に首を入れることがあるよりも、有ることが難しい「有り難い」ことなのですよと言われているのです。
実際、遺伝子工学の第一人者である村上(むらかみ)和雄(かずお)筑波大学名誉教授は、「進化生物学者の木村資生(きむらもとお)氏によれば、この宇宙に1個の生命細胞が生まれる確率は、1億円の宝くじが100万回連続で当たるくらいの、とんでもなく希少な確率だそうです。となれば、私たちの存在はとんでもなく「有り難い」ものだと言うことができるでしょう。 さらに言えば、世界の富をすべて集めても、ノーベル賞学者が束になってかかっても、ごく単純な大腸菌1つ元から創れないのが現実なのです。にもかかわらず、私たちの身体には、約37兆個の細胞が存在し、お互いに助け合いながら、喧嘩することなく調和を保って生きている。これは本当に不思議なことです。それだけに、我われは大自然の不思議な力で生かされているという側面を決して忘れてはならないと思うのです。」
と言っています。
有り難き確率で人間に生まれてこられたことに感謝し、それを育むすべてのものに感謝する言葉として『有り難き』が変化して『ありがとう』という言葉が生まれました。
『ありがとう』という言葉は人を幸せにする魔法の言葉です。
経営の神様と呼ばれ、パナソニックを一代で築いた松下幸之助氏は「『ありがとう』と言う方は何げなくても、言われる方はうれしい。『ありがとう』これをもっと素直に言い合おう。」と言っています。
有り難い確率で人間に生まれてこられたのですから、すべての人が幸せになれる『ありがとう』という魔法の言葉をすべての人が素直に言い合える世界にしたいものです。         
合掌
蔵王院 住職 竹田慧乗

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